項目データ
作曲年1793-1794年
初演1794年3月31日 第8回ザロモン演奏会(ロンドン)
演奏時間約30分

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn/1732年-1809年)の『交響曲第100番(軍隊)』は、1793-1794年に作曲された作品です。
100作品以上あるハイドンの交響曲の中でも、傑作のひとつとして知られています。

ここではハイドン『交響曲第100番(軍隊)』の解説と名盤を紹介したいと思います。

ハイドン『交響曲第100番(軍隊)』の演奏

18世紀オーケストラ(オランダを本拠地にする古楽オーケストラ)
指揮:フランス・ブリュッヘン(Frans Brüggen,1934年-2014年)

[00:00]第1楽章:Adagio - Allegro
[07:52]第2楽章:Allegretto
[14:21]第3楽章:Menuetto: Moderato
[19:23]第4楽章:Presto

二度目のロンドン訪問時に作曲された

ハイドンは30歳の頃から58歳まで、ハンガリー有数の大貴族、エステルハージ家のもとで働きました。
そして58歳の時にその職を終えると、1791年から1792年と1794年から1795年の二度にわたってイギリスを訪問します。

異国の地で大成功したハイドン

ハイドンはイギリスで大成功します。
この2度の訪問で、ハイドンはエステルハージ家の給料の20年分を手にしたと言われています。

『交響曲第100番(軍隊)』は、その2度目の訪問時に作曲され、そのままロンドンで初演されました。

「トルコの軍楽」をイメージした作品

「軍隊」の愛称は、第2楽章で流れるトルコ軍楽風の音楽からきています。
この時代は曲を転用することは珍しくなく、この第2楽章は自身の作品「2つのリラのための協奏曲ト長調」を転用しています。
原曲には軍楽風な音楽は使われておらず、交響曲第100番で新たに打楽器やトランペットが加わりました。

打楽器(トライアングル、シンバル、バスドラム)がこのようにオーケストラで使われることは珍しく、初演の宣伝時から「軍隊交響曲」の言葉が使われていたそうです。
またトランペットが奏でる音楽も印象的です。

ウィーンではトルコ軍楽が流行していた

当時ウィーンでは、「トルコ軍楽」が流行していました。

この約100年前の1683年、ハプスブルクはトルコ軍によるウィーン包囲に対して勝利します。
その100周年の1783年頃には、トルコ軍楽は大変な人気があったそうです。

ハイドンはウィーン生まれで、アイゼンシュタットで多くの時間を過ごしました。
ハイドンの身近なところにトルコ軍楽はあったのかもしれません。

 ハイドンは、アイゼンシュタットにあるエステルハージ家に長年勤めました。
ウィーンから約50㎞離れたとこころにある街です。

ちなみに「軍隊」の10年前に、同じトルコ風の音楽としてモーツァルトの「トルコ行進曲」(1783年)も作曲されています。
当時ウィーンに住んでいたモーツァルトは、トルコ軍楽の人気に乗っかった曲を作ったというわけです。

ハイドン『交響曲第100番(軍隊)』の名盤

【収録曲】
ハイドン:交響曲第94番『驚愕』
ハイドン:交響曲第100番『軍隊』
ハイドン:交響曲第101番『時計』

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
1981年・1982年、ベルリン、フィルハーモニーにて録音

ハイドン円熟期の『ロンドン・セット』の中からの3作品です。
カラヤン、ベルリンフィルのコンビが壮大で力強いハイドンを聴かせてくれます。

その他の曲目一覧(目次)

その他の作品・あらすじ・歌詞対訳などは下記リンクをクリックしてください。

クラシック作品(目次)

オペラ作品(目次)

ミュージカル作品(目次)

歌詞対訳(目次)

ピアノ無料楽譜(目次)