黛敏郎の「涅槃交響曲」は1958年に岩城宏之の指揮、NHK交響楽団と東京コラリアーズの演奏によって初演された作品です。
日本の現代音楽の作曲家に与えられる作曲賞である尾高賞を翌年の1959年に受賞しました。
歌詞は天台宗の読経『首楞厳神咒』が用いられていますが、この歌詞は彼のオペラ『金閣寺』(1976年初演)のクライマックスのシーンでも使われています。
ここでは黛敏郎の「涅槃交響曲」を紹介したいと思います。
鐘の魅力にとりつかれた黛敏郎
「涅槃交響曲」を作るきっかけになったのは、作曲者である黛敏郎が鐘の魅力に憑りつかれたことでした。
彼は音楽よりも深いものを鐘の音色に感じたそうです。
しかも素晴らしい音楽作品でも感じることのできなかった別の何かを鐘の音色から感じ、心が揺さぶられたそうです。
その鐘と同じような魅力を音楽で表現しようと黛敏郎は斬新な試みをはじめます。
鐘の音色を音響学的に研究
鐘の魅力を音楽で表現するために、まずは鐘の音を音響学的に研究することがおこなわれました。
鐘の音ではありませんが斬新な音楽の前例はありました。
それはフランスの現代音楽の作曲家オリヴィエ・メシアン(Olivier Messiaen/1908年~1992年)が1935年に作曲したポール・デュカスの墓のための小品(Pièce pour le Tombeau de Paul Dukas)です。
オリヴィエ・メシアンはこの曲で鳥の唄を取り入れました。
オリヴィエ・メシアンが鳥の唄を譜面にしようとしたように、黛敏郎も鐘の音を採譜しようとしました。
NHKの協力のもと、大みそかの「NHKの除夜の鐘」のテープが資料として使われました。
そして専門家によって様々な寺の鐘を分析してもらうことによって、黛敏郎はその特徴を発見しました。
複雑な響きをオーケストラで再現
鐘の複雑な音は電子音楽で表現することは容易でした。
しかし、黛敏郎はそれをオーケストラという生の楽器で表現しようとしたのでした。
オーケストラでの再現は日本最高峰のオーケストラであるNHK交響楽団が協力してくれました。
N響との様々な実験の結果、「カンパノロジィ」という試作曲ができました。
この「カンパノロジィ」は涅槃交響曲の第1楽章に充てられています。
鐘にある宗教的意味合いをプラス
鐘を音楽的に表現することは可能になりました。
黛敏郎が次に行ったのは、鐘の音色に意味を持たせることでした。
クラシック音楽はキリスト教の音楽が多くありますが、黛敏郎が作ろうとしているのはお寺の鐘の音楽です。
当然キリスト教の音楽になるわけはなく、音楽が向けられたのは仏教でした。
黛敏郎は今まで精通していなかった仏教に関心を寄せるようになります。
その中でも特に仏教と切り離せなかったのが「お経」でした。
仏教音楽を作るのであればお経はならなくてはならないと考えたのです。
「お経」にはハーモニーや拍子はない
「涅槃交響曲」を聴いても感じるように、お経にはハーモニーや拍子はありません。
大勢の人が様々な声で歌い、それぞれが近い音程ではあっても決して西洋のユニゾンのように美しく綺麗な音色は生み出しません。
また「お経」には3拍子、4拍子などの決まった拍子もありません。
黛敏郎はこの独特なお経の音色を男性12部合唱で表現したのでした。
涅槃に興味を持っていた早坂文雄に捧げられた
教会カンタータではなく仏教カンタータと言える「涅槃交響曲」は、作曲家の早坂文雄に捧げられました。
早坂は涅槃交響曲ができる少し前の1955年に亡くなりましたが、早坂も涅槃をテーマとした交響曲を書こうと考えていたそうです。
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