シベリウスの「交響曲第6番」は、1923年に作曲が完成されました。
着想は1914年のことで、「交響曲第5番」「第6番」「第7番」は、ほぼ同時期に着想が始まりました。
完成度の高いと言われる「第4番」「第7番」、作曲者の生誕50周年を記念して作曲された「第5番」に挟まれて印象の薄い「第6番」ですが、宗教的な雰囲気も感じさせる清らかな作品として知られています。
ここではそんなシベリウス「交響曲第6番」の解説と名盤を紹介したいと思います。
シベリウスの「交響曲第6番」の演奏
ベルリンフィル(指揮:カラヤン) [00.00]第1楽章:Allegro molto moderato
[09.15]第2楽章:Allegretto moderato – Poco con moto
[15.35]第3楽章:Poco vivace
[19.05]第4楽章:Allegro molto – Doppio piu lento
身近な存在の死
「交響曲第6番」は1914年に着想がはじまり、1923年に完成しました。
シベリウスの生誕50年記念行事の作品である「第5番」が優先して作曲されたため、「第6番」「第7番」の完成はしばらく時間がかかってしまいます。
この間にシベリウスの周りで不幸な出来事が起こります。
「第6番」は少なからずこのことが影響しているのではないかとも言われます。
カルペラン男爵の死
一つはシベリウスの友人でもあり、パトロンでもあったカルペラン男爵の死です。
シベリウスとカルペラン男爵は、彼の代表作「フィンランディア」の発表以降親密になります。
カルペラン男爵は経済的にシベリウスを支援し、あの「交響曲第2番」は男爵の勧めで旅したイタリアで書かれた作品です。
また都会(ヘルシンキ)の生活に疲弊していたシベリウスに「ヤルヴェンバーに移住」を勧めたのも男爵でした。
※この頃に「交響曲第3番」は書かれました。
このシベリウスに不可欠な人物の死を、シベリウスは大きく悲しんだそうです。
弟クリスティアンの死
もう一つは弟クリスティアンの死です。
クリスティアンは幼い頃チェロを弾いていました。
ヴァイオリンを弾いていたシベリウスとは仲の良い兄弟であり、音楽仲間でもありました。
この二人の死が、「交響曲第6番」に宗教的な響きを加えたのではないかとも言われています。
作曲は何度も中断されましたが、ようやく1923年に完成しヘルシンキでシベリウス自身の指揮によって初演されました。
「第5番」の初演(1915年)から8年後のことでした。
曲の構成
第1楽章:Allegro molto moderato
ドリア調で始まる。
魂が天へと昇っていくような宗教的な響きを感じさせる。
第2楽章:Allegretto moderato - Poco con moto
冒頭主題は第1楽章の主題を受け継ぎ、楽章間の橋渡しとなっている。
身近な人を失ったシベリウスの悲しみが感じられるような音楽である。
第3楽章:Poco vivace
リディア調の主題が宗教的雰囲気を醸し出し、はかなさが漂う。
第4楽章:Allegro molto - Doppio piu lento
ドリア旋法を基調とし、こちらも宗教的雰囲気が漂う。
充実した音楽ではあるが、はかなさは残ったままで音楽は進む。
最後は静寂の中に音楽が消えていく。
シベリウス「交響曲第6番」の名盤
カラヤン&ベルリン・フィルシベリウスは、カラヤンを「自分の作品のただひとりの最高の解釈者」と評したそうです。
ベルリン・フィルが重厚でかつ美しいサウンドを奏でています。
「第6番」(1967年録音)、「第7番」(1967年録音)、交響詩「タピオラ」(1964年録音)が収録されています。
ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan/1908年4月5日-1989年7月16日)
オーストリアの指揮者
1955年から1989年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者・芸術監督を務める。
ウィーン国立歌劇場の総監督やザルツブルク音楽祭の芸術監督も務めるなど、歴史上最も偉大な指揮者の一人である。
日本には11度も来日しており、日本人には小澤征爾が師事したことでも知られている。
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(Berliner Philharmoniker)
世界を代表するオーケストラの一つで、日本において絶大な人気を誇る。
重厚なドイツ的サウンドを奏でながらも、バラエティに富んだプログラムを演奏し常に世界の最先端をリードしている。
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