アントニン・レオポルト・ドヴォルザーク(Antonín Leopold Dvořák/1841年~1904年)の「チェロ協奏曲」は、1894年から1895年にかけて作曲されました。
「ドヴォコン」の愛称でも親しまれている作品です。

交響曲第9番「新世界より」(1893年)や弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」(1893年)とともにドヴォルザークを代表する作品として広く知られています。
この三作品はチェコの作曲家であるドヴォルザークがアメリカで作曲した作品でもあります。

ドヴォルザークのこの作品は、「チェロ協奏曲」の中で最も評価の高いチェロ協奏曲の一つだとも言えます。
そのため数々の名チェリストの録音も残されています。
音楽的にはボヘミア(チェコ)の音楽とアメリカの黒人霊歌やインディアンの音楽を融合させた傑作として知られています。
ここではドヴォルザークの「チェロ協奏曲」の解説と名盤を紹介したいと思います。

ニューヨークに院長として招かれる

1991年、ドヴォルザークにニューヨーク・ナショナル音楽院の院長としての依頼がきます。
当時のドヴォルザークはプラハ音楽院の作曲科の教授を務めており、作曲家としてもイギリスやアメリカで高い評価を得ていました。

ニューヨーク・ナショナル音楽院は1885年に設立されたばかりの音楽院で、国際的な学校を目指しており、そこでチェコの国民楽派のドヴォルザークに声がかかったというわけです。
一度は就任を断ったドヴォルザークでしたが、熱心な誘いと給料が高いこともあって、院長としてニューヨークに旅たつこととなります。

チェコとアメリカのミックス

ドヴォルザークはその後3年間にわたりアメリカで生活するわけですが、この頃の作品は「チェコとアメリカの音楽がミックスした作品」だとよく言われます。

この「チェロ協奏曲」はアメリカ滞在の最後に書かれた作品で、アメリカ的匂いもありますが、母国を思う切なさが強く感じられる作品です。

ホームシックと給料の未払い

ニューヨーク・ナショナル音楽院の任期を終えたドヴォルザークは5ヶ月間の休暇を取りボヘミアに帰りました。
そして任期延長の契約をしてアメリカへ戻ってきました。
「チェロ協奏曲」はこのアメリカへ戻ってきたころの作品です。

Dvorak

当時ドヴォルザークはひどいホームシックにかかっており、体調も優れませんでした。
また世界恐慌のあおりを受けて、ドヴォルザークへの給料の支払いも遅れていたそうです。
「チェロ協奏曲」を完成させた2か月後にドヴォルザークは職を辞め、アメリカを離れることとなります。

過去にチェロ協奏曲で1度失敗していた

「チェロ協奏曲」は、チェロ奏者のハヌシュ・ヴィハーンからの依頼で作曲されました。

実はドヴォルザークはチェロ協奏曲の作曲に1度失敗している経験がありました。
1865年にチェロ協奏曲の作曲を試みていたのですが、未完に終わっているのです。
どのためドヴォルザークは「チェロはオーケストラでは美しくとも協奏曲のソロでは難しい楽器だ」と考えていたそうです。

そんなドヴォルザークですが、作曲家でチェリストのヴィクター・ハーヴァートのチェロ協奏曲第2番の初演(1894年)を聴いて刺激を受け、再びチェロ協奏曲の作曲に意欲的になりました。
この「チェロ協奏曲」の大部分は3か月という短期間で書き上げられたそうです。

初演はロンドンで

作品のほとんどはアメリカで書かれましたが、初演はアメリカを去ったのちの1896年3月19日にロンドン・フィルハーモニック協会でおこなわれました。
ドヴォルザーク自身が指揮をし、ソリストは喧嘩をしてしまった都合で依頼人のヴィハーンではなく、レオ・スターンが務めました。

その後ヴィハーンとは仲直りをしたようで、チェコでの初演ではヴィハーンがソリストを務め、この作品自体もヴィハーンに献呈されています。

曲の構成

全体を通して演奏時間は40分程度で、3楽章で構成されています。

第1楽章 Allegro ロ短調

序奏はなく、悲しみを感じさせるクラリネットによる第1主題から音楽は始まります。
これに各楽器が加わり力強くオーケストラ全体で演奏されます。
続いて音楽が一度落ち着いた後に現れるホルンによる第2主題は、クラリネット(第1主題)とは対照的な暖かな音色が印象的です。
そしてこれらを経て音楽は独奏チェロにつながります。

展開部の後の再現部では、はじめにオーケストラだけによる演奏がおこなわれ、続いて独奏チェロが加わります。
最後は盛り上がりの中で第1楽章は終わります。

分厚いオーケストラの中で様々な楽器が主役(ソロ)を担うのも特徴的で、これらの楽器が独奏チェロと対話を繰り広げます。
これは第1楽章に限らず作品を通してみられます。

第2楽章 Adagio ma non troppo ト長調

第2楽章は木管楽器のアンサンブルで始まります。
クラリネットが抒情的な主題を奏で、それを独奏チェロが引き継ぎます。
第2楽章は人間の声と同じ音域を持ったチェロらしい、まさに歌を歌っているかのような演奏が聴きどころです。
独奏チェロと木管楽器の対話に弦楽器も加わり、音楽は突然ト短調へと変わります。

ト短調からは音楽の印象がガラリと変わり、暗さを感じる劇的な音楽となります。
ここで独奏チェロが奏でる第2主題は、ドヴォルザークが作曲した「4つの歌曲(1887-88)」の第1曲「私をひとりにして」のメロディです。

最後はホルンが第1主題を再現し各楽器がそれに加わり、第2楽章は消えていくように終わります。

第3楽章 Allegro moderato ロ短調

第3楽章は、黒人霊歌のメロディとボヘミヤの民族舞曲のリズムが織りなすドヴォルザークらしい音楽です。
印象的なロンド主題を中心に展開し、それに2つの副主題が入ります。
ロンド主題は各楽器に渡ったのちに独奏チェロに引き継がれます。

最後は第1楽章の第1主題が現れ、音楽のテンポが一気に上がり、最大の盛り上がりの中で作品の幕は閉じます。

ドヴォルザーク「チェロ協奏曲」の名盤

巨匠と巨匠で奏でる、ロストロポーヴィチ、カラヤン、ベルリンフィルによるドヴォルザークの「チェロ協奏曲」です。
歴史的名演・名盤として名の高い録音でもあります。

ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan/1908年4月5日-1989年7月16日)
オーストリアの指揮者

1955年から1989年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者・芸術監督を務める。
ウィーン国立歌劇場の総監督やザルツブルク音楽祭の芸術監督も務めるなど、歴史上最も偉大な指揮者の一人である。
日本には11度も来日しており、日本人には小澤征爾が師事したことでも知られている。

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(Berliner Philharmoniker)
世界を代表するオーケストラの一つで、日本において絶大な人気を誇る。
重厚なドイツ的サウンドを奏でながらも、バラエティに富んだプログラムを演奏し常に世界の最先端をリードしている。

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