ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms/1833年~1897年)の「ピアノ協奏曲第2番」は、1878年から1881年にかけて作曲されました。
「ピアノ協奏曲第1番」が彼の初期の代表作品として挙げられますが、2番はこれから20年以上の歳月を経て作られました。

ベートーヴェンとメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲と共に、「三大ヴァイオリン協奏曲」とも呼ばれているブラームスの「ヴァイオリン協奏曲」は1978年の作品ですので、同時期の作品と言えます。
これらは、まさにブラームスの音楽が充実していた頃の作品なのです。

ここではブラームスの「ピアノ協奏曲第2番」の解説と名盤を紹介したいと思います。

仕事も生活も充実した頃の作品

1878年頃のブラームスは仕事も生活も充実したときを過ごしていました。
音楽の街ウィーンへ住まいを移して10年以上が過ぎ、この2年前の1876年には19年の歳月をかけた交響曲第1番がようやく完成しました。
この交響曲第1番は「ベートーヴェンの10番目の交響曲の様だ」と素晴らしい評価を得ました。

1877年、1878年と、ブラームスは休暇を過ごすためにオーストリア南部にあるヴェルター湖を訪れます。
そして、この地で「交響曲第2番」(1877年)「ヴァイオリン協奏曲」(1878年)は書き上げられました。
「ピアノ協奏曲第2番」も1878年ころに作曲が開始されています。

brahms

この曲はイタリア旅行から刺激を受けたと言われています。
1881年に2度目のイタリア旅行から帰ってきたブラームスは、ウィーン近郊にある避暑地・プレスバウムで夏の休暇を過ごしました。
そしてそこで「ピアノ協奏曲第2番」は完成されました。

ピアノ協奏曲第1番での初演失敗

「ピアノ協奏曲第2番」を作曲しはじめたブラームスは最新の注意を払いました。
初演までに試演を重ね、テンポの修正などを細かく行いました。

それは約20年前の1857年に完成した「ピアノ協奏曲第1番」での初演失敗も関係したのかもしれません。
「ピアノ協奏曲第1番」はハノーファー初演は無事終えることができたものの、5日後のライプツィヒ初演では「ブーイングの嵐」だったそうです。

初演での大成功

初演までの入念な準備が実り、1881年の初演は大成功を収めました。
ピアノソロはブラームス自身が務めました。

この「ピアノ協奏曲第2番」は、技術的にも難しい曲として知られています。
このことからもブラームスが作曲家であると同時にいかに素晴らしいピアニストであったかということがわかります。
当時の協奏曲としては演奏時間がとても長い50分の大作でしたが、評価は高くドイツ、オーストリア、オランダなどで何でも再演されました。

ブラームス「ピアノ協奏曲第2番」の名盤

フランスのピアニスト、エレーヌ・グリモーのソロによる「ピアノ協奏曲第2番」です。
2013年には来日もしてN響とこの曲で共演しました。
「ピアノ協奏曲第1番」も収録されていますが、2曲とも一般的な演奏よりゆったりとしたテンポで表現されています。

指揮はアンドリス・ネルソンスで、演奏は第1番がバイエルン放送交響楽団、第2番がウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との共演です。

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