項目データ
作曲年1809年
初演1811年11月28日
献呈ルドルフ大公
演奏時間40分程度

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven/1770年~1827年)は生涯で5曲のピアノ協奏曲を書いています。
「ピアノ協奏曲第5番」は1810年に完成したその最後を締めくくる曲で、「皇帝」という呼び名でも親しまれています。
壮大で重厚なピアノとオーケストラのハーモニーがとても力強く感じます。
また第2楽章のロマンティックな美しい音楽も印象的です。

ベートーヴェンは20代後半から難聴に悩まされ、その苦悩から1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』を残し自殺も考えます。
しかし交響曲第3番(1804年)頃から生きる力を取り戻し、その後10年間にわたり次々と傑作を生みだします。(傑作の森
この曲は、そんなベートーヴェンの創作の絶頂期の中頃に書かれました。

 同じころの作品としては
1808年:交響曲第5番『運命』
1808年:交響曲第6番『田園』
1808年:合唱幻想曲
1810年:エリーゼのために
1810年:ピアノソナタ第26番『告別』
などが挙げられます。

またチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」、グリーグの「ピアノ協奏曲」とともに「三大ピアノ協奏曲」と呼ばれることもあります。
ここではベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第5番(皇帝)」の解説や名盤を紹介したいと思います。

ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第5番(皇帝)」の演奏

[00:30]第1楽章:Allegro 変ホ長調 4/4拍子
[21:10]第2楽章:Adagio un poco mosso ロ長調 4/4拍子
[30:00]第3楽章:Rondo Allegro - Piu allgero 変ホ長調 6/8拍子

ピアノ:クリスティアン・ツィマーマン(Krystian Zimerman、1956年- )
指揮:レナード・バーンスタイン (Leonard Bernstein、1918年-1990年)
オーケストラ:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(Wiener Philharmoniker)

ウィーンの動乱期の作品

「ピアノ協奏曲第5番(皇帝)」はウィーンが動乱の最中で作曲されました。
それはナポレオンがウィーンを占領(1809年5月)したころでした。
ウィーンの街は荒れ、ウィーンから逃げ出す人々も多くいる中で、ベートーヴェンはウィーンに残ります。
ウィーンに残ったと書きましたが、もしかすると「逃げられなかった」のかもしれません。

Beethoven

ナポレオン軍の進軍により、ベートーヴェンの支援者たちもウィーンから逃げ出しました。
そのため、ベートーヴェンは経済的にも厳しい状況に陥りました。
この戦争は半年ほど続きました。
戦争が終わると、徐々にウィーンに人々が戻ってくるようになりました。

この曲はそんな1809年~1810年の間に約1年ほどかけて作曲されたと言われています。

カール・ツェルニーも「皇帝」を演奏した

初演は1811年にライプツィヒ・ゲヴァントハウスでおこなわれました。
その3か月後にはウィーンで、ソリストにカール・ツェルニーを迎えて演奏されました。
ツェルニーの練習曲は現代でも初歩のピアノ練習に大変よく使われており、私たちにとっても大変馴染み深い音楽家ですね。

 ツェルニーは、ベートーヴェンの弟子でした。
10歳の時にベートーヴェンに弟子入りを志願し、ピアノを学びます。
ツェルニーは暗譜するのが得意で、ベートーヴェンの曲は全て演奏することができたそうです。

今ではとても人気のあるこの曲ですが、これ以降ベートーヴェンが生きている間に演奏されることはありませんでした。

ピアノ協奏曲第4番までは自分でピアノを弾いていた

ちなみにベートーヴェンはピアノ協奏曲第4番までは自分でピアノを弾いていました。
この第5番が書かれた頃は、ベートーヴェンの耳が悪化してきたころだったため自分で演奏することが叶わなかったのです。

また古典派の協奏曲はカデンツァと呼ばれる即興演奏がおかれるのが通例でしたが、この曲にはそのカデンツァがないことも特徴的です。

「皇帝」は出版社が命名した

この「皇帝」という名称はベートーヴェン自身が付けたものではなく、出版社が付けたものでした。
当時はCDもなければ、著作権のような作曲家を守る法律はありません。
コンサートなどの生の演奏を除いて、作曲者や音楽関係者がお金を得る最も大きな手段は「楽譜をたくさん売ること」でした。

そのため楽譜を販売する側が曲にキャッチコピーをつけることは珍しいことではありませんでした。
このキャッチコピーと曲の印象がマッチすれば、楽譜の売り上げも伸びたというわけです。
この「皇帝」の呼び名は今日まで残り続けているわけです。
今でも誰が命名したかはわかっていませんが、このコピーライターのネーミングは適切だったのかもしれません。

napoleon

この当時の皇帝と言えば「ナポレオン」を指します。
この「ピアノ協奏曲第5番」は、まさにナポレオンをイメージするような音楽に感じることもできます。
しかし、ベートーヴェンはナポレオンに失望していたというエピソードが残っています。
曲のサブタイトルは「皇帝」ですが、そのままの解釈で曲を捉えることは難しいかもしれません。

※この「皇帝」とネーミングした理由や背景は諸説あります。

ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第5番(皇帝)」の名盤

何度か「皇帝」を録音しているルービンシュタインが88歳の頃に録音した「皇帝」です。
オーケストラはロンドンフィルが演奏しています。
名盤と名高い1枚で、70年以上のキャリアを経てたどり着いたルービンシュタインを堪能してみてはいかがでしょうか。

アルトゥール・ルービンシュタイン(Arthur Rubinstein, 1887年1月28日 - 1982年12月20日)
ポーランド出身で、20世紀を代表するピアニストとして知られている。
母国ポーランドの作曲家ショパンをはじめ、シューマン、ベートーヴェン、ブラームスやブラジル音楽など、多くのレパートリーを誇った。
1899年:ポツダムでデビュー
1990年:ヨアヒムの指揮でベルリン・デビュー
1937年:ナチスの迫害を逃れて米国に移住
1946年:アメリカに帰化

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