作品名 | 作曲年 | 演奏時間 |
---|---|---|
交響曲第1番 | 1799-1800年 | 30分弱 |
交響曲第2番 | 1801-1802年 | 35分 |
交響曲第3番(英雄) | 1803-1804年 | 50分 |
交響曲第4番 | 1806年 | 35分 |
交響曲第5番(運命) | 1807-1808年 | 35分 |
交響曲第6番(田園) | 1808年 | 45分 |
交響曲第7番 | 1811-1813年 | 40分 |
交響曲第8番 | 1812年 | 30分 |
交響曲第9番(第九) | 1822-1824年 | 70分 |
ベートーヴェン『交響曲第1番』
29歳の時の作品で、この時期にピアノソナタ第8番「悲愴」・七重奏曲・6つの弦楽四重奏曲なども作曲されています。
初めての交響曲であるため、ハイドンやモーツァルトの古典派の影響を大きく受けています。
「主題がモーツァルト的である。」や「ハイドンやモーツァルトの楽器鵜編成に近い。」と評されています。
この時から既に耳は悪くなり始めていました。
ベートーヴェン『交響曲第2番』
形式的はまだハイドンの形式に従っているものの、作曲技法に新たな試みが加えられ始めた作品です。
交響曲第1番の作曲中の1800年に作曲は開始されています。
難聴に悩まされてインしたが、ハイリゲンシュタットの自然に囲まれた穏やかな環境での暮らしのせいか、絶望感や苦悩は感じない作品です。
この時期はカール・リヒノフスキー侯爵の支援で、経済的にも安定していました。
ベートーヴェン『交響曲第3番』
ハイドンやモーツァルトの作風とは一線を画した、新しいベートーヴェンらしい交響曲が誕生しました。
「ナポレオンに献呈する曲」として頼まれたという説もあり、最初に予定されていたタイトルは「ボナパルト(ナポレオンの名前)」だとも言われています。
ただ交響曲第3番の作曲後、ベートーヴェンは「ナポレオンが皇帝になった」ことに激怒したという話もあります。(作り話の可能性あり)
ナポレオンが「一般大衆の英雄」から「貴族階級の英雄」に変わったことが許されなかったのかもしれません。
ベートーヴェン『交響曲第4番』
恋愛がうまくいっている時期の作品で、そのせいか暖かみのある作品に仕上がっています。
「運命」より遅く作曲しましたが、「運命」より早く完成しました。
シューマンは「2人の巨人(3番と5番)に挟まれた美しいギリシアの乙女(4番)」と、ベルリオーズは「全体的に性格は活発で明るく、この上ない優しさがある」と評しました。
ベートーヴェン『交響曲第5番』
この頃のベートーヴェンの聴覚はかなり悪化しており、会話も不自由な状態でした。
ただ作曲家として地位も固まり、経済亭にも安定し、創作意欲が最も高かった時期でもあります。
「運命」は、そういう時期に5年もの月日を要した大作です。
冒頭の「ジャジャジャジャーン」の意味を、ベートーヴェンが「運命の扉をたたく音」と答えたことがタイトルの由来です。
また「運命」は、ハイドンの完成させた4楽章から成る交響曲の定型を守った最後の交響曲でもあります。
ベートーヴェン『交響曲第6番』
「運命」は正式な名称ではありませんが、「田園」はベートーヴェン自身が名付けたもので「交響曲唯一の標題のある作品」です。
ただ田園という標題は、風景を描いているわけではありません。
ベートーヴェンは「この交響曲は絵画的な描写を表現したものではない。人々の心の中に起こる田園での喜びの感情を描いたものだ。」と語っています。
「田園」のスケッチには声楽を用いようとした形跡が残されており、この頃から「声楽を交響曲に用いる」構想はあったようです。
ベートーヴェン『交響曲第7番』
6番と7番の間で、戦争により生活は苦しくなり、体調も悪化し、さらには恋人のテレ-ゼとの関係も終わってしまいます。
その後、ベートーヴェンは保養地で友人に囲まれて「生きる力」を取り戻していきます。
交響曲7番は、苦難を克服した明るい音楽を感じ取ることができます。
リズムがとても印象に残る作品で、リストは「リズムの神化」とワーグナーは「舞踏の聖化」と評しています。
ベートーヴェン『交響曲第8番』
7番と同時に初演されたましたが、人気は7番に集まりました。
しかしベートーヴェンは8番に自信を持っており、聴衆の反応に納得いかなかったそうです。
ベートーヴェンは「聴衆が交響曲第8番を理解できないのは、この曲があまりに優れているからだ」と言ったそうです。
ベートーヴェン『交響曲第9番』
交響曲の常識を破りロマン派の扉を開いた傑作です。
自由を求める市民を抑圧した「ウィーンの社会情勢」を反映しているとも言われます。
ウィーン市民の「自由を求める声」や「体勢への不満」も意識すると違った聴き方ができるかもしれません。
第九は第4楽章の合唱「歓喜の歌」があまりにも有名ですが、当時の人々には斬新すぎたのか「第1-3楽章」のほうが当時は人気があったようです。
作品にはシラーの歌詞が使われていますが、ベートーヴェンが初めてシラーの詩に感激したのは1792年のことだったそうです。
これは第九を書く30年も前のことでした。
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