項目 | データ |
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作曲年 | 1793-1794年 |
初演 | 1794年 第4回ザロモン演奏会(ロンドン) |
演奏時間 | 30分弱 |
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn/1732年-1809年)の『交響曲第101番(時計)』は、1793-1794年に作曲された作品です。
ハイドンの100曲以上の交響曲の中でも、成熟した傑作として有名な作品です。
ここではハイドン『交響曲第101番(時計)』の解説と名盤を紹介したいと思います。
ハイドン『交響曲第101番(時計)』の演奏
指揮:チャールズ・マッケラス(Charles Mackerras/1925年-2010年)
オーストラリアの指揮者
管弦楽:セントルークス管弦楽団(Orchestra of St.Luke's)
アメリカ・ニューヨークを本拠地とする室内オーケストラ
[08:11]第2楽章:Andante
[15:43]第3楽章:Menuet: Allegretto
[22:29]第4楽章:Vivace
二度目のロンドン訪問時に作曲された
ハイドンは30歳の頃から58歳まで、エステルハージ家(ハンガリー有数の大貴族)のもとで働きました。
しかし58歳の時に転機が訪れます。
それは、エステルハージ家のニコラウス侯爵の死去です。
ニコラウス侯爵の後継人は音楽に興味を持たず、ハイドンは職を失ってしまいました。
自由の身となったハイドンは、興行師ザロモンの勧めで、1791年から1792年と1794年から1795年の二度にわたってイギリスを訪問します。
異国の地で大成功したハイドン
職を失ったハイドンでしたが、彼の人生は好転します。
ハイドンはイギリスで大成功したのです。
この2度の訪問で、ハイドンはエステルハージ家の給料の20年分を手にしたと言われています。
『交響曲第101番(時計)』は、その2度目の訪問時に作曲され、そのままロンドンで初演されました。
第2楽章~第4楽章はウィーンにいた頃(1793年)に既に作曲が開始されており、第1楽章はロンドンに着いてから着手されたそうです。
第2楽章の時計を彷彿させるリズム
『時計』の愛称はハイドン自身が付けたものではなく、19世紀に入ってから名付けられました。
第2楽章で奏でられる「規則正しいリズムが振り子時計を彷彿させる」ことから、そう呼ばれています。
ただ『時計』の愛称のイメージは、あくまで作品の一部です。
作品全体を通して聴くと、全楽章を通して成熟したハイドンの音楽が堪能できる傑作です。
101番の聴きどころは当時から「第2楽章」だった!?
『交響曲第101番(時計)』の初演は、興行師ザロモンによる第4回ザロモン演奏会で演奏されました。
この演奏会内では第1楽章・第2楽章がアンコールで演奏されました。
そして初演の1週間後に開かれた第5回ザロモン演奏会でも『時計』は演奏されました。
このときも第2楽章がアンコールで演奏されたそうです。
聴衆の反応は上々で、演奏会は大成功をおさめました。
この作品を「ハイドン史上最高の作品」だと評する人もいたそうです。
ハイドン『交響曲第101番(時計)』の名盤
【収録曲】
ハイドン:交響曲第94番『驚愕』
ハイドン:交響曲第100番『軍隊』
ハイドン:交響曲第101番『時計』
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
1981年・1982年、ベルリン、フィルハーモニーにて録音
ハイドン円熟期の『ロンドン・セット』の中からの3作品です。
カラヤン、ベルリンフィルのコンビが壮大で力強いハイドンを聴かせてくれます。
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