項目データ
作曲年1810年
出版年1867年
演奏時間約3分

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven/1770年-1827年)のバガテル「エリーゼのために」は、1810年に作曲されました。
約3分の短いピアノ小品ですが、ベートーヴェンの作品の中でも「最も知名度の高い作品」の一つとして挙げられます。

冒頭の音楽は、誰もが耳にしたことがあるのではないでしょうか。

ベートーヴェンは20代後半から難聴に悩まされ、その苦悩から1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』を残し自殺も考えます。
しかし交響曲第3番(1804年)頃から生きる力を取り戻し、その後10年間にわたり次々と傑作を生みだします。(傑作の森
「エリーゼのために」が作曲されたのは、そのような時期でした。

 同じころの作品としては
1808年:交響曲第5番『運命』
1808年:交響曲第6番『田園』
1808年:合唱幻想曲
1809年:ピアノ協奏曲第5番『皇帝』
1810年:ピアノソナタ第26番『告別』
などが挙げられます。

ここではベートーヴェン「エリーゼのために」の解説と名盤を紹介したいと思います。

ベートーヴェン「エリーゼのために」の演奏

イーヴォ・ポゴレリチ(Ivo Pogorelić, 1958年- )
クロアチアのピアニスト
ショパン・シューマン・ベートーヴェン・ラヴェル・リスト・スクリャービン・プロコフィエフからスカルラッティ・バッハまで幅広いレパートリーを誇る。
1978年:アレッサンドロ・カサグランデ国際コンクール第1位(イタリア、モンテルニ)
1980年:カナダ、モントリオール国際コンクール第一位(審査員満場一致)
1980年:ショパン国際ピアノコンクール本選落選(ポーランド)、審査員特別賞受賞。奇抜な演奏が議論を巻き起こす。審査員のマルタ・アルゲリッチは「彼は天才」と語り落選を抗議し、審査員を辞任する騒ぎとなった

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「エリーゼ」とは誰なのか?

「エリーゼのために」において必ず語られることは、「エリーゼとは誰なのか?」ということです。
現在の研究では、それはテレーゼ・マルファッティ(Therese Malfatti/1792年-1851年)ではないかと言われています。

「エリーゼのために」を作曲した年(1810年)に、ベートーヴェンはテレーゼに求婚をしたそうです。(諸説あり)
求婚したかどうかは諸説あるものの、ベートーヴェンとテレーゼが親しい関係であったことは間違いないようです。
ベートーヴェンは生涯独身でしたが、彼の恋愛のエピソードはいくつも残されています。

 ソプラノ歌手エリザベート・レッケル(Elisabeth Röckel)のために作曲したとい説もあるそうです。

「Für Elise?」「Für Therese?」

「エリーゼのために」のタイトルは、見つかった楽譜に「Für Elise」と書かれていたことから名付けられました。
しかし、この文字は読むことが難しく「Elise」ではなく本当は「Therese」だったのではと、現在のところ考えられています。

「エリーゼのために」の楽譜は、テレーゼ・マルファッティが所有していました。
そのことから「Therese」が自然なのではということです。

ただ残念なことに、その自筆譜は現在は残っていません。
そのため、真相は謎に包まれたままになってしまいました。

ベートーヴェンの死後40年後に公開

「エリーゼのために」の楽譜は数人の手を渡って、1867年に公開されました。
それはベートーヴェンの死後40年も経過した頃でした。

「エリーゼのために」の頃のベートーヴェン

「エリーゼのために」が作曲された頃(1810年)は、激動の時代でした。

1809年にナポレオン軍がウィーンに攻め入り、ウィーンの街は戦地となります。
半年間戦争は続き、市民たちの多くはウィーンから逃亡しました。
そんな中、ベートーヴェンはウィーンに残りますが、創作は思うように進まなかったようです。

ベートーヴェンがテレーゼと知り合ったのもこの頃(1809年)でした。

ちなみに『ピアノソナタ第26番(告別)』(1809-1810)もこの頃に書かれた作品です。
この『告別』もテレーゼが関係しているのでないかという説があります。

ベートーヴェン「エリーゼのために」の名盤

アシュケナージによる名曲選
アシュケナージがお馴染みの名曲たちを演奏している名曲選です。

【収録曲】
01:エリーゼのために
02:トロイメライ「子供の情景」
03:「雨だれ」前奏曲第15番変ニ長調
04:ソナチネ「ピアノ・ソナタ第20番」ト長調
05:悲愴「ピアノ・ソナタ第8番」ハ短調
06:夜想曲 第2番 変ホ長調
07:古城(「展覧会の絵」より)
08:別れの曲(練習曲第3番ホ長調)
09:幻想即興曲(即興曲第4番嬰ハ短調)
10:小犬のワルツ(ワルツ第6番変ニ長調)
11:アラベスク・ハ長調
12:亡き王女のためのパバーヌ
13:鐘「前奏曲嬰ハ短調」
14:メフィスト・ワルツ第1番

ウラディーミル・アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy、1937年7月6日 - )
ソヴィエト連邦出身のピアニスト・指揮者で、20世紀後半を代表するピアニストの一人。
168センチの小柄な体格で、卓越したテクニックと洗練された音楽で聴き手を魅了している。
とても幅広いレパートリーを誇り、その音楽は万人に愛されている。

1955年:ショパン国際ピアノコンクールに出場2位。アシュケナージが優勝を逃したことで、審査員が降板する騒動になる。
1956年:エリザベート王妃国際音楽コンクール優勝
1962年:チャイコフスキー国際コンクール優勝
1963年:ソ連から亡命のためにロンドンへ移住
1970年:指揮活動も開始
1972年:アイスランド国籍取得
1987年:ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督に就任
1989年:26年振りにソ連に帰郷し、コンサートをおこなう

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