ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart/1756年1月27日-1791年12月5日)の代表曲・名曲を年代を追って整理しています。
ここでは数ある作品の中から20作品を紹介します。

 それぞれのページへ移ると作品の詳細を解説してあります。

モーツァルトが10歳までの作品

 ・1756年1月27日、ザルツブルクに生まれる
・5歳のときに最初の作曲をする
・1762年シェーンブルン宮殿でマリア・テレジアの御前で演奏する

「交響曲第1番」

作曲年:1764年
モーツァルトが8歳の頃の作品です。
モーツァルトは、7歳から10歳までの3年半に渡ってヨーロッパを旅しました。
この作品は、その旅行中のロンドンで書かれたと考えられています。
第2楽章でホルンが演奏する「ド・レ・ ファ・ミ」の音型(ジュピター主題)は、モーツァルトの最後の交響曲である「交響曲第41番(ジュピター)」の終楽章でも用いられています。

 1769年~1771年:第1回目のイタリア旅行

モーツァルトが15歳以降の作品

「交響曲第25番」

作曲年:1773年
モーツァルトの交響曲には短調の曲は、この「25番」と「40番」の2曲しかありません。
この作品は、ハイドンの交響曲第39番をヒントとしているのではないかとも言われています。

モーツァルトが20歳以降の作品

 1777年:ザルツブルクでの職を辞めて、ミュンヘン、続いてマンハイムへ移る
1778年:パリへ移動し、パリで母を亡くす

「フルートとハープのための協奏曲」

作曲年:1778年
フルートとハープが主役になっている珍しい作品です。
外交官で趣味でフルートを吹いていたド・ギーヌ公爵のために作曲されました。
公爵の娘が趣味でハープを演奏していて、その二人のための作品だというわけです。

「ピアノソナタ第8番」

作曲年:1778年夏(推定)
モーツァルトの中では珍しい「短調」の作品で、これにはモーツァルトの母の死が関連していると考えられています。
細かい作曲の経緯等は明らかになっていませんが、作曲時期も母の死の前後だと推定されます。

モーツァルトが25歳以降の作品

 1781年3月:ザルツブルク大司教の命令でミュンヘンからウィーンへ移る
その後大司教と決別し、ウィーン定住を決意する

「2台のピアノのためのソナタ」

作曲年:1781年11月
「のだめカンタービレ」で、のだめと千秋が一緒に弾いたことで音楽ファン以外にも広く知られています。
モーツァルトの作曲した「2台のピアノのためのソナタ」はほとんど未完で終わっており、この作品は完成した唯一のものです。
弟子と2人で演奏するために作曲したと考えられています。

「きらきら星変奏曲」

作曲年:1781-1782年
フランスで当時流行していた恋の歌(シャンソン)「ああ、お母さん、あなたに申しましょう(Ah! vous dirai-je, maman)」を、ピアノ用に編曲した作品です。
日本では「きらきらひかる 夜空の星よ」の歌詞で知られていますが、当時流行したシャンソンの歌詞はそうではありません。
歌詞の内容は、娘が母親に恋心を歌っているものです。

 1782年:父親が反対の中、コンスタンツェと結婚する

「ピアノソナタ第11番」(トルコ行進曲)

作曲年:1783年
モーツァルトが作った約20曲のピアノソナタの中で最も有名な作品と言えるかもいしれません。
有名な「トルコ行進曲」は第3楽章を指し、第3楽章だけが単独で演奏される機会も多くあります。
当時のウィーンではトルコの軍楽が人気だったそうで、モーツァルトもその流行に乗って作曲をしたそうです。

「ピアノ協奏曲第20番」

作曲年:1785年2月10日
モーツァルトのピアノ協奏曲の中で最も有名な曲の一つで、モーツァルトが初めて作曲した「短調」の協奏曲です。
スターリンが愛した曲として有名です。
また、この第2楽章は映画「アマデウス」のエンディングテーマとして使われました。

「ピアノ協奏曲第21番」

作曲年:1785年
数あるモーツァルトのピアノの協奏曲の中でも特に人気の高い作品です。
モーツァルト自身も作品の出来に手ごたえがあったようで、その旨を父レオポルトに手紙で伝えています。

モーツァルトが30歳以降の作品

オペラ『フィガロの結婚』

初演:1786年5月1日
モーツァルトのオペラの中でも屈指の人気を誇る作品です。
ウィーンでは期待したほどの成果は得られませんでしたが、プラハでは空前の大ヒットとなりました。

「ピアノ協奏曲第23番」

作曲年:1786年
親しみやすい主題で多くの音楽ファンを魅了する傑作です。
透明感と美しさを兼ね備えた作品で、半音階が多く使われているのも印象的です。
作曲時期は、オペラ「フィガロの結婚」の作曲と重なります。

「交響曲第38番(プラハ)」

作曲年:1786年12月6日
この作品は、1787年1月19日にプラハにて初演されました。
その地名をとって「プラハ」の愛称でも親しまれています。
当時プラハでは「フィガロの結婚」だ大ヒットしており、街を歩く人が鼻歌で歌っているほどの人気ぶりだったそうです。

 1787年5月:父・レオポルトが死去する
 このころから借金がかさみだす

「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」

作曲年:1787年8月10日完成
モーツァルトが作曲した最後のセレナードです。
テレビ・CMなど多くのメディアで取り上げられており、誰もが耳にしたことのある親しみやすいメロディが印象的です。
タイトルは「小さな夜の曲」という意味で、モーツァルト自身が自作の目録に書き付けたものです。

オペラ『ドン・ジョヴァンニ』

初演:1787年10月29日
ウィーンで初演された『フィガロの結婚』は、プラハで大ヒットしました。
そこでプラハの劇場はモーツァルトに次のオペラの作曲を依頼します
そうしてできた作品が『ドン・ジョヴァンニ』です。
初演はモーツァルト自身の指揮でおこなわれ、大成功をおさめたそうです。

「交響曲第40番」

作曲年:1788年
モーツァルトの作品の中でも、最も有名な作品の1つに挙げられます。
冒頭の音楽は誰もが聴いたことがあるのではないでしょうか。
ブラームスやシューベルトも愛したと言われている傑作です。

「交響曲第41番(ジュピター)」

作曲年:1788年
モーツァルトが作曲した最後の交響曲です。
交響曲第39番・第40番と合わせて「3大交響曲」としても親しまれています。
この「3大交響曲」はわずか2ヶ月で書き上げられたそうです。

「クラリネット五重奏曲」

作曲年:1789年9月29日完成
モーツァルトの友人でフリーメイソンでもあったクラリネット奏者アントン・シュタードラーのために作曲されました。
シュタードラーはウィーン宮廷楽団でクラリネットを演奏しており「ウイーンで最初のクラリネット名演奏家」として知られています。

モーツァルトが35歳頃の作品

「クラリネット協奏曲」

作曲年:1791年
モーツァルトが最後に作曲した協奏曲で、唯一のクラリネットのための協奏曲です。
イギリスの英国クラシックFM(2006年)でモーツァルトの人気曲第1位になった曲でもあります。
この作品もクラリネット奏者アントン・シュタードラーのために作曲されました。

オペラ『魔笛』

初演:1791年9月30日
モーツァルトが作曲した生涯最後のオペラです。
一般市民を対象としたオペラで、内容はわかりやすい「お伽噺」になっています。
その一方で、フリーメイソンとの深い繋がりも感じさせるオペラです。

「レクイエム」

作曲年:1791年9月から(未完)
モーツァルトが最後に残した曲です。
作曲中にモーツァルトが亡くなり、残りは弟子のフランツ・クサーヴァー・ジュースマイヤーによって書かれました。
ヴェルディとフォーレのレクイエムと合わせて「三大レクイエム」とも呼ばれています。

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