項目データ
作曲年1809-1810年
出版年1811年
献呈ルドルフ大公
演奏時間15分程度

ベートーヴェンの「ピアノソナタ第26番(告別)」は、1809年から1810年にかけて作曲されました。
「告別(Das Lebewohl)」とは、ベートーヴェン自身が付けた標題です。
ピアノソナタにおいてベートーヴェン自身が標題を付けた作品は、「告別」の他には第8番「悲愴」のみです。

ベートーヴェンは20代後半から難聴に悩まされ、その苦悩から1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』を残し自殺も考えます。
しかし交響曲第3番(1804年)頃から生きる力を取り戻し、その後10年間にわたり次々と傑作を生みだします。(傑作の森
「エリーゼのために」が作曲されたのは、そのような時期でした。

 同じころの作品としては
1808年:交響曲第5番『運命』
1808年:交響曲第6番『田園』
1808年:合唱幻想曲
1809年:ピアノ協奏曲第5番『皇帝』
1810年:エリーゼのために
などが挙げられます。

また、この作品は「オーストリアとフランスの戦争」に深く関係している作品でもあります。
作品はベートーヴェンの"パトロン"であり"弟子"でもあるルドルフ大公に献呈されました。

ここではベートーヴェンの「ピアノソナタ第26番(告別)」の解説と名盤を紹介したいと思います。

ベートーヴェン「ピアノソナタ第26番(告別)」の演奏

[00:15]第1楽章:「告別(Das Lebewohl)」Adagio 2/4拍子 - Allegro 2/2拍子 変ホ長調
[07:44]第2楽章:「不在(Die Abwesenheit)」Andante espressivo 2/4拍子 ハ短調
[11:44]第3楽章:「再会(Das Wiedersehen)」Vivacissimamente 変ホ長調 6/8拍子

ダニエル・バレンボイム(Daniel Barenboim, 1942年-)
アルゼンチン出身の、ユダヤ人ピアニスト・指揮者(現在の国籍はイスラエル)
神童として名をはせ10代の頃からピアニストとして活躍すると、20代半ばからは指揮者としても活躍する。
パリ管弦楽団、シカゴ交響楽団、ベルリン・シュターツカペレの音楽監督なども歴任。
オペラ部門、室内楽部門、管弦楽曲部門、ソリスト部門、ベスト・クラシック部門などでグラミー賞を受賞。

「ルドルフ大公」について

「告別」はルドルフ大公(1788年-1831年)に献呈されました。

ルドルフ大公は神聖ローマ皇帝レオポルト2世の子供で、1804年から1835年までオーストリア皇帝の地位にいた人物です。
※神聖ローマ帝国皇帝フランツ2世の弟でもあります。

ルドルフ大公はちょうどオーストリア皇帝なった頃(1803-1804年頃)から、ベートーヴェンからピアノを習い始めます。
すぐに二人は意気投合し、良好な関係を築き上げたそうです。

 ベートーヴェンは「告別」の他に、「ピアノ三重奏曲第7番(大公)」「荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)」を含む計14曲もの作品をルドルフ大公に献呈しています。

そしてルドルフ大公はベートーヴェンを経済的に支援することとなります。
ベートーヴェンを支援した人物は歴史上他にもいましたが、ベートーヴェンの性格は気難しいことで知られています。
ベートーヴェンはパトロンと裁判沙汰になったこともありました。

そんな中、ベートーヴェンとルドルフ大公の良好な関係は、崩れることがありませんでした。
ルドルフ大公は、最後まで支援し続けてくれた唯一のパトロンでした。

ナポレオン軍のオーストリア侵入

1809年4月、オーストリアとフランスは戦争状態に突入します。
5月にはナポレオン軍がウィーンに侵入し、市民たちは次々とウィーンを離れていきました。
このときルドルフ大公もウィーンを離れました。

戦争は半年ほど続き、11月にフランス軍はようやくウィーンからいなくなります。
そして翌年1810年1月にルドルフ大公はウィーンに戻ってきました。

「告別」は丁度この時期に書かれた作品です。

第1楽章:「告別(Das Lebewohl)」

これはルドルフ大公が1809年5月にウィーンを離れたことを指します。
スケッチは「告別」の他にも「Der Abschied(別れ)」と書いた跡がありました。
この2つの標題でベートーヴェンは迷ったようです。

また、ベートーヴェンは「1809年5月4日、ウィーンにて、敬愛するルドルフ大公殿下の出発にあたって」と草稿に書き入れています。

第2楽章:「不在(Die Abwesenheit)」

これは1809年5月から1810年1月までのウィーンが戦場となった期間を指します。
この間、ルドルフ大公はウィーンを離れオーフェンに移っていました。

第3楽章:「再会(Das Wiedersehen)」

これはもちろんベートーヴェンとルドルフ大公の再会を指します。
スケッチには「再会」の他に、「到着(Ankunft)」と書いた跡がありました。

また、ベートーヴェンは「尊敬するルドルフ大公殿下帰還、1810年1月30日」と草稿に書き入れています。

標題はフランス語で出版された

ドイツ語で書かれた標題でしたが、楽譜はフランス語で出版されました。
これは戦争に勝ったフランスを配慮してのことだったのかもしれません。

 フランス語では「第1楽章:les adieux」「第2楽章:l'absence」「第3楽章:le retour」

ベートーヴェンはフランス語で出版されたことに怒り、「Das Lebewohlとles adieuxでは全く違う。」と抗議したそうです。

ベートーヴェン「ピアノソナタ第26番(告別)」の名盤

ルービンシュタインの名演で「告別」を堪能してはいかがでしょうか。
ベートーヴェンの三大ピアノソナタも収録されています。

ルービンシュタインと言えばショパンを思い出す方もいるとは思いますが、ベートーヴェンも名演が揃っています。
定番の1枚としても知られており、クラシックの初心者の方にもオススメの1枚です。

温かくてスケール感の大きな音楽にきっと魅了されることだと思います。

アルトゥール・ルービンシュタイン(Arthur Rubinstein, 1887年1月28日 – 1982年12月20日)
ポーランド出身で、20世紀を代表するピアニストとして知られている。
母国ポーランドの作曲家ショパンをはじめ、シューマン、ベートーヴェン、ブラームスやブラジル音楽など、多くのレパートリーを誇った。
1899年:ポツダムでデビュー
1990年:ヨアヒムの指揮でベルリン・デビュー
1937年:ナチスの迫害を逃れて米国に移住
1946年:アメリカに帰化

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